意識高くて何が悪い
最近あるブログで話題が上っています。テーマは「意識高い系」。
このブログでは、そんな言葉をよく口にする人に辛口に突っ込んでいくので悪しからず。
www.co-media.jp
以下の引用は『頑張っている学生が「意識高い」と笑われる日本は末期症状である。紀里谷和明監督インタビュー』より
学生が「意識高い(笑)」と笑われる日本は、末期症状である
ーー命かけてやっている学生が「意識高い(笑)」と言われる。なぜ日本はこうなってしまったのか?
紀里谷:楽だから。バカにしたって、生きていけるから。日本が何にも食べるものがない社会だったら、みんな必死になって食べ物を探すと思いますよ。食べ物を探しているやつに「お前意識高いな」と言いますか? 沈没しそうな船から脱出しようとしているやつに「お前意識高いな」と言いますか?
さらに上のブログをソースにしたブログも
www.suzutaro.net
このように、世間一般に、大学などでは「あの子、意識高いよね~」といフレーズが決まり文句のように、ポツポツと耳に聞こえたりすることもあるでしょう。
何について彼らは意外に思っているのか。たとえば、自己啓発の本を欠かさずに読んだり、英語などのTOEIC対策にむけて向けて必死になって英語を読んでいたりするような人によく使われる。
意識高いってことは、純粋に「素晴らしい」といった意味合いで、褒めを込めて使う人もいるだろうが、それだけとは限らないのだ。
つまり悪いニュアンスでディする意味合いで、「あの子意識高くなーい?気持ち悪いよね」のように言っている場合は明らかに悪いニュアンスだ。
さて、このようなディする人間に対してあなたは堂々と毅然と、あなたの「していること」を貫けるだろうか。またそのようにディスられないように仮面を被るのだろうか。
自分の素直な成長を妨げない
まず、第一に自己啓発とかなんでもいいのですが、「意識の高いこと」とは何なのでしょう。
それはその人が努力をしていることを指すのではないでしょうか。
英語が話せるようになりたいからがむしゃらに洋書を読む。セミナーに行く。
これは決してあなたにとって、役に立たないものではないはずです。
その毎日努力したものは、結果となって成果が出るものかもしれない。
「意識高い」といえば、意識高い高校生が普通のランクの学校で、放課中に周りが遊んでいる中勉強していて、そのように言われるのかもしれない。
高校生に限らず、大学生だったり社会人だったり。周りがしていない中、異色をたたせてひたむきに取り組んでいる様子です。
ですから、自分の純粋な成長を周りの目を気にせずに育む。
これは生涯にわたる自分のキャリア形成では欠かせないものです。
限りある時間・人生において、確実に糧になりますから。
自分のためなのです。周りのために動いてはいけません。
当然ですが見栄を張るのなんてもってのほか。
自分の内側から湧き上がるようなものがなければいけないのです。
彼らは堕落した集団で生きていたいだけ
結局彼らはなぜに「アイツ意識高い。あり得ない。」などと主張するのでしょうか。
それははっきりいって不安を感じて軽蔑しているのではないのでしょうか。
堕落している自分が怖い。だからそばにいる仲間に「アイツおかしいよね?」のように健全な人間を馬鹿にして、何もしていない自分たちが保守党のようにふるまっているのです。
また病的な集団意識って言ってもいいかもしれません。
彼らは「人とは違うこと」を過度に恐れているのです。誰も新しいことをせずに、同じようにぬくぬくと生きていきたいのです。
そんな生き方、果たして面白いと言えるのでしょうか。
誰とでも同じやり方で、同じ過ごし方で。もはやそこに個性はないのです。
自分らしく貫くというのは、自分の生き方にかなったものではないですか。
人の価値観に合わせて、なんで自分が高められるのでしょうか。