生きづらさを感じている人は自己肯定ではなく自己受容をすべきだ
世の中を見渡すと、生きづらさを感じている人が多数います。
そんな方々にとって、不足しているものは「自己肯定感」だといいます。
以下は引用。
自己肯定感がないと、無理してでも何かを頑張らないとダメなんですよね。
潰れるまで頑張り続けるしかない。
何となく漠然と、常に
「今のままの自分じゃ、生きている資格がない。存在価値がない」
このようにその記事では自己肯定をより所にして、生きるために欠かすことができないと伝えて、「失敗した時には自己肯定感を持て」と言っています。
たとえば資格試験に勉強した結果、不合格だったことを知らされたとします。
自分の努力が合格点に満たないことを知るわけです。
そこで意識改革の登場です。自己肯定をするように「自分は本当は100点取れるはずだったんだから今度はどうにかなるだろうな」と自分に語り掛けましょう。
もうお分かりいただけたと思いますが、これは無理やり自分にできもしないのに暗示をかけて生きていることに他なりません。またこのような生き方を貫くと、自分に嘘をついた生き方を通すことになってしまうのです。
自己肯定感は自分に虚をつく
そのように自分の現状を見向きもせずに「自分はできるんだ、頑張れるんだ」と言い聞かせると、ますます現実の自分とのギャップに苦しむことになります。
今回のテストは55点だったけど、本当は100点取れると思い込むと、ますます自分のことが嫌いになるでしょう。
さらに、理想の自分とかけ離れていく本当のわたしを目の当たりにすることによって現状の自分がより一層捉えられなくなるのではないでしょうか。
始めから完全にできもしないわたしに「本当はできるんだ」と言い聞かせたところで、空威張りになってしまい、その違いで自信を無くしてしまうことになりかねないのです。
自己肯定ではなく自己受容
このように自ら嘘を塗り固めることは、自分の自信を削ぎ落としていくことになります。
では、自己肯定ではなく、本当に自信をつけるように自分にできることはなんなのでしょうか。
それは自己受容です。
自己受容というのは仮に、試験の点数が60点であっても、「本当は100点とれるんだ」と言い聞かせるのではなく、「60点か、勉強しなかったからだな」のように、現状の自分を嘘つくことなく、受け入れることです。
これは自己肯定が何もないとこころに空威張りしているのに対し、自己受容が自分を受け入れて、そこから前に立ち向かっていくことを意味しています。
つまり、自らの自分に対して建設的な態度と言えるでしょう。
このように自己肯定であれば空虚な虚しさにおいて努力しようとは思えなくなりますが、自己受容ならば着実に自分の取るべき道に立ち向かっていくことになります。
自己肯定で自分に嘘をついていないか今一度確認してみたいところです。
本稿一部以下引用。
自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、
自らに暗示をかけることです。(中略)自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。
岸見・古賀(2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社