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ワタる、哲ログ

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学歴を必要以上に重要視していないか

学歴が無かったら幸せになれないのか議論を呼んでいる。
そこにツッコミした記事を参考にして考えていきたい。
以下は参考記事。
ta-nishi.hatenablog.com

学歴っていうタームは自分のキャリア形成において、重要視されている。
もちろん「働く」ことがキャリアに関連しているわけだが、そのために学歴絶対条件なのではないのかといったといった風潮がある。


 また、低学歴と高学歴を比較した場合、高学歴を絶対視してそこにより一層の価値を置く場合がある。

たとえば、一般に専門学校を出ると大学を卒業した学歴に比べて軽視されることがある。
さらに有名大学のエリートや地方大学の学歴を見た場合に地方大学を軽蔑されたりする。

ある家庭では、その家庭の子どもが高校を卒業して、就職を志すと圧力をかけられて進学をさせられたりするだろう。
はたして本当に低学歴がいけないのか。



低学歴と高学歴の差


 では学歴による差はなんなのだろうか。

まずその成果として考えられるのが収入の差であろう。
一般に大学を卒業したものの方が収入が高いことはあるだろう。


 つぎに考えられるのは学歴の名の通り、教養があるのかないのかだ。
専門的な分野を学校で履修・習得したのならばその分野で教養があるだろう。
その証拠として学歴を飾ることができる。



低学歴を忌避する風潮


 このような高学歴に憧れて、それが人生における分かれ道と決めている人もいる。
極端な例だと「偏差値高い大学に行かなければオワル」とかいう人とか。

また、親が子どもに対して「大学だけは出ておけ」などの場面もあるだろう。
大学を出ないと不幸になるというのだが、この理由は進学しないからある企業に見合わない人間になってしまうからであろう。

それが究極的には不幸・貧乏にならないため、とか言われる。
ではそのような人たちにとって幸福な人生とは何なのか問うてみたい。



自分が学歴によるモノを重大視するか・しないか


 結局のところ、学歴を重視する人にとって幸福をつかむことって、自分自身が上場することなのではないだろうか。

たとえば名前も知られていない中小企業よりは大手の一大企業に就職した方がいいという。

たしかに大手の方が安定しているし、得られる収益も多いであろう。

だが、収入や職責などの役割の差が一概に良し悪しを決めるものではない。
自分が大手に勤めて、中小のあの人より稼いでいるからより幸福を実感できることもあるのだろうが、そうでなくても幸福になれる可能性もある。

生涯収益が価値観の全てにはならないのである。


 大手企業に就職するための学歴は必要であろうが、親がこのような価値観にとらわれて、始めから学歴重視の価値観を子どもに押し付ける必要などないし、自分から億劫になることもない。

 世の中の風潮に出世せよと言わんばかりに、それにむかってレールを歩む人も多数いるわけだが、自分らしく生きて幸せをつかむためには必ずしもそれは必要ではないと思う。


 自分の個性を尊重して、大企業で頭角を現したければそれに向かって専門性を発揮したらいいし、そうでなくても自分の活躍できて生き甲斐の実感できる場所は存在するのではないのか。